就活生は今すぐ就活本を捨てて『モチベーション3.0』を読もう
学生生活残り半年。
「学べるのは今しかない」と思い、無駄に意識が高くなる今日この頃です。
そんなスカイハイな意識に任せて、「経営者論」なる授業をとりました。
主たるテーマは「モチベーションとリーダーシップ」です。
最初の授業で、先生が紹介したビデオがこれ。
日本だと大前研一氏が日本語訳して話題になったかっこかっこ『モチベーション3.0』の著者であるダニエル・ピンク氏によるプレゼンです。
ピンク氏いわく、
There is a big mismatch between what science knows and what business does.
科学が解明したことと、ビジネスで行っていることには大きな乖離があります。
これは、僕が大学に通っていて常々思っていることでもありました。
大学には優れた論文や前例のない発見がゴロゴロ転がっています。しかし、そのほとんどが実社会で生かされず、ただただ図書館のスペースを埋めるだけのモノになってしまっているのが現実です。
ちょうど今、僕は卒業論文の執筆をしています。参考にするため、先輩の卒業論文を拝見して、半ば衝撃をうけました。
10年前の論文のタイトルに、
『VR(バーチャルリアリティ)が実現するエンターテインメントの世界』
『漫画をオンラインで販売する可能性について』
といったものがあったのです。
2016年は「VR元年」になるなどと言われていますが、その10年も前にオキュラスリフトやPlaystation VRが実現するであろう世界が、学士論文のなかで予測されていたのは驚くべきことだと思います。
ただ、これがピンク氏のいう
科学が解明したこととビジネスで行っていることの大きな乖離
なのでしょう。
いくら論文に書いて予測していたからといって、世の中は何も変わらない。
アイデアは実行して初めて価値が生まれます。
ピンク氏が主張する「乖離」は、
金銭的なインセンティブは、パフォーマンスを損なう可能性がある
ということです。
これまで(というより今このときも)信じられてきたのは、
「報酬が高ければ高いほど、モチベーションが高まる」
ということでした。
ピンク氏は、もうそのような方程式は成り立たないといいます。
その理由を考えるために重要なのが、「20世紀的な仕事」と「21世紀的な仕事」の違いです。
『モチベーション3.0』では以下のように整理されています。
- 20世紀的な仕事=アルゴリズム的な仕事
例:ルーティーンワーク、単純作業、直線的な課題解決 - 21世紀的な仕事=ヒューリスティック的な仕事
例:クリエイティブなタスク、課題解決よりも課題発見、イノベーション
昨年、オックスフォード大学のオズボーン助教授が
10年後、人間の仕事の半分以上は機会にとって代わられる
という研究結果を発表して話題になりましたが、その影響を受けるのは「20世紀な仕事」ということでしょう。
そんなクリエイティブな21世紀的な仕事に対して、これまで根深く信じられていた「報酬を与えれば頑張る」というような外的動機付けは働かないどころか、悪影響を与える、という研究結果が出ているそうです。
それでは、従来の「報酬」によるインセンティブに代わるものはあるのでしょうか?
ピンク氏は、「内的動機付け」こそがこれからの時代に重要なモチベーションになると述べています。
内的動機付けとは、
- 自主性
- 成長
- 目的
を実現することです。
僕は、このプレゼンをみたとき、強い衝撃を受けるとともに、今の日本の就活に対して自分がなんとなく感じていた違和感の正体がわかったような気がしました。
たいていの就活を始める学生が一番最初に見るのは「年収ランキング」です。
年収ランキングがそのまま「就活人気企業ランキング」になるようなありさまです。
ピンク氏の言葉を借りるならば、
There is a huge mismatch between what science knows and what students believe in.
科学者の解明したことと、学生が信じ込んでいることには、巨大な乖離があります。
多くの学生は、「安定」という、だれが基準を決めているかもわからないような言葉を信じてエントリーシートを山ほど書きなぐります。
ああ、なんという、悲劇。
『ワークシフト』でも言われていますが、これからの時代、
企業の「安定」よりも自分の「安定」を重視せよ
日本では、この考え方がまだまだ浸透していないように思います。
世界は音を立てるように変化しているというのに。
数あるTEDのプレゼン映像のなかで、このピンク氏の動画は史上最高の再生回数を誇っているそうです。
さあ、これからどうやって生きていこう。
ノブレスオブリージュ。
挑戦を忘れてはいけない。
と、ここまで書いて気づいた。記事を書いたの、1カ月ぶりぐらいだ。
自分の「自主性」のなさ!
おあとがよろしい?ようで。